hanasi wa kikasete moratta

2014年9月30日火曜日

銀座にまつわる

懐古主義も大概です。
着地点がどこに有るのか、見誤ってはいないか。もはやソレは実体を伴ってはいない。伴ってはいないからこそ、かけらを拾い集め夢を見る。あたかも古より捜し求めていた宝石のごとく。それでもソレは砂のように指間からこぼれ落ち、私はまた人目もはばからず這いつくばって捜し求める・・・

なんやねん(´・ω・`)

Geoの旧作50円に釣られて古い映画を見ただけで。ただのジョークさとロッドスチュワートもおっしゃいます。僕が古い映画を好んで観るのには訳があり、ちょっと分析の備忘録として書きなぐりたいと思い立った9月の最終日。


まず古い映画と一口に言っても僕の中ではジャンル分けがなされています。70年代のアメリカンニューシネマや娯楽超大作映画、ヨーロッパ文芸映画などザクサクと分類出来ます。まぁ文芸大作とか言ってもカリギュラとか家族の肖像とかド変態映画を大層な作品として崇める趣味は無いのであまり観ないのですが。ソドムの市ヴィスコンティなんて村西とおるや高橋がなりと根っこは同じでしょう。パゾリーニは開き直っていますから良しとしても、ヴィスなんて悪質なわけですがそれは。

ここで僕がこの一ヶ月に観た映画を振り返ってみます。お手元の資料をご覧ください・・・

銀座の恋の物語
二人の銀座
極悪レミー
劇場版ペルソナ3  Spring of Birth 

Oh・・・('A`)

極悪レミーはミュージシャンとしてあるべき姿、バンドマンとして成功したかった自分の投影として、劇場版ペルソナ3は無力だった学生時代に人外なる力を得てさえいればと言う憧憬として
とそれぞれ瞳孔を開きっぱなしの現実逃避タイムを堪能しました。

で、銀座モノ2本と言う訳です。

 どうすか!どうすかコレ!瞳孔開くほか垂涎するしか無い(断言)
これらの映画を観た当時の田舎の観客達は「東京は凄い都会だ」「銀座はその中でも一流だ」「オラ東京さ(以下略)」と思った事でしょう。驚くべきことに平成26年の本日今日、私も当時の観客たちと同じ想いを抱きました。

美しい銀座、スタイリッシュでありながら江戸前の誇りと郷愁を兼ね備えた街、銀座

銀座レッドウイウイ ーー!(金切り声)

割と銀座ってか中央区行く機会が以前ありまして、その時も印象は凄く良かったんです(上から目線)これは銀座銀座、言うほどの事はあるなと。銀座にもコンビにはあるのですが、某池ぶくRなんかは「トイレはありません」「トイレはお貸しできません」とかの張り紙が多くて参ったんです。そこ行くと流石はザギン「お手洗いはどうぞご自由にお使いくださいませ」と明朝体でやさしく案内しています。
池袋なんか、あ、池袋って言っちゃったね(川渕風)段ボール紙の裏に太いマジックペンで殴り書きですもの。「は?便所?汚すから貸せねえけどw」「商品持ち込んだら通報すんぞ?ああ?」は伝わってきます。

なぜ私が銀座を好きになったか?には諸説入り混じっており、識者の間でも意見の分かれるところですが、一般的には池波正太郎のパクリ説が有力視されているようです。剣客商売は1冊読んだくらいのニワカ池波ファンがほざくなとの声も有りますが、彼は時代劇作家と言うよりは私にとって幼少のみぎりの映画の師匠とも言える存在でした。

よい匂いのする一夜 、ラストシーンの夢追い、池波正太郎の銀座日記、映画行脚 淀川長治共著
映画を食べる、江戸古地図散歩/ 回想の下町などなどむさぼるように彼の映画日記と食べ歩き紀行を読みまくったイヤな中学生でした。・・・今思い起こしたらホントにむかついてきた。なんだこいつ。


憧れたのは彼のライフスタイル。
朝適当な時間に起きて銀座をぶらぶら散歩。
小腹が空いて喉が渇いたと言っては午前11時に開店したばかりの天ぷら屋でうな重を肴にビールを飲む。
食べて飲んだ後は書店を巡り、座りたくなったと言っては映画館に。そこでたまたま観た映画の感想をサラっと論評する・・・
天国はここに有る。山形新幹線こそ Knocking on heavens doorなり。近所の草刈機の音でたたき起こされ、車で1時間かけてブックオフに行き、欲しかった本を買って自室で同じ本見つけ「はぁあん?}と奇声を上げる僕には似て非なる行動です(錯乱)


今手元にある資料で池波さんがチョイスした作品の年度別ベストがあるのですが、エクソシストやタワーリングインフェルノ、オルカw、スーパーマンⅡなどの名作・珍作がランクインしています。僕好みな小品としてハリーとトント、グッバイガール、グリニッジヴィレッジの青春などのアメリカの良心とも言える作品も入ってます。一方ヴィスコンティも・・・そしてアルパシーノのゲイムービー、クルージングまでもがランクイン。ヴィスを単なるペド野郎と罵る訳には行かなくなりそうです・・・

美しいはず銀座の街は昭和30年代の頃とはその風貌を異なる者へと変貌を遂げています。 時は平成25年の夏、私は出張先の銀座一丁目で洋食屋キャッスルの前で驚くべき事態を知る事とtなります。

以下動画の説明文より
☆銀座「ニューキャッスル」の看板猫として、12年間銀座の街角で過ごしたポンちゃん
­その後、時の流れの中でニューキャッスルは閉店、家猫となって余生を過ごしました。そ­して先日、ニューキャッスル跡地の貼紙で、ポンちゃんが他界したと知りました。銀座に­行くたびにポンちゃんと遊んだことは、今でも鮮明に覚えています。今までどうもありが­とう、そして最後の飼い主様もお疲れ様でした。

打ちひしがれた私は閉まっていた洋食屋へは入らず、近くのとんかつ屋に入ったのですが、その後さらに驚くべき事態に・・・

  「とんかつ和幸」など全国に270店舗以上展開するとんかつチェーン大手の和幸商事の一部店舗で、客が食べ残したキャベツやお新香を使いまわしていた、などと報じられるとネットでは、「汚ねぇ!!!!」「ソースとか付いたままなのか?」などと大騒ぎになった。
 http://www.j-cast.com/2013/11/29190464.html?p=all

私も某巨大匿名掲示板で「きったね!」「食べた奴こっちくんなwwww」とか言ってましたが、それは

銀座にまつわる映画や小説などの作品について書こうかと思ったのですが、ここで最初の文章にリプライズ

 着地点がどこに有るのか、見誤ってはいないか。もはやソレは実体を伴ってはいない。

まさしくその通りでございます。池波先生こんな駄文に名前を出してしまい大変失礼いたしました・・・銀座の恋の物語の浅岡ルリ子と和泉雅子は綺麗でした・・・3年前にポンちゃんに触れ合えた誇りを胸にそっ閉じします。












2014年6月5日木曜日

SEASONS COLOURS-春夏撰曲集-松任谷由実

我が愛しののiPodクラシック160Gうんたらかんたら ・・・
数あるユーミンの荒井由美時代も含めた膨大な楽曲の中から春夏をテーマに選り すぐった二枚組みベスト。著名な曲だけで構成されていて、これが第一弾だとか。なんかほとんどなじみのある曲がここに集約されてしまって次はどうなるん でしょう?無いでしょう?
あぁ、恋人がうんたらとかブリザードがどうたらって曲がありましたっけw
ロックに生き、ロックに死んでいく僕たちにとって(白目)青春時代を併走して いたユーミンの存在は邪魔なだけでした。
音的にも時代の先端を走り、恋愛の教祖のポジションを得、セールス的にも敵な し。発言や歌詞はいちいち社会的に評価され、インタビューは音楽番組ではなくニュース番組・・・いちいち目障りでした。

 今思えば、嫉妬と中二病全開の若かりし音楽少年の逆説的な羨望の的とも言えます。そこに気付きもせず、曲もろくに聴きもせず、「カリスマを批判する俺カッケー」てなもんです。ろくすっぽ聴いてはいませんでしたが、そこはメガヒット連発の女王。何気に同時代に聞いてきたロックと共にそのメロディと歌詞は脳裏に焼きついています。荒井由美時代の曲は子供時代に耳馴染みしているメロディが多く、よく出来たスティーリーダンやフレンチポップ風味のアレンジと共にホント覚えているものです。もしかしたら初めて聴いたのに、そんな気がしない程、言ってみればビートルズ的メロディセンスがあるのかも しれませんが。
「緑の街に舞い降りて」「卒業写真」「花紀行」「最後の春休み」などやはり名曲多し。リアルタイムでヤングな私が聴いていたのなら、たぶん今は涙無しでは聴けないで しょう。 ですが、涙や思い入れなく普通に「あぁ良い曲だな」と聴けてしまいます(察し)
とは言え、いつでもどこでも耳にすると「Oh...」となってしまう必殺の「潮風にちぎれて」が収録されています。
これは・・・ホントに良い曲。毒々しさやラジカルな面も持つユーミンですが、歌詞もメロもアレンジも凄くリリカルな面も併せ持ちます。こちらサイドを 支持する方々の方が実は多いのではないでしょうか(断言)
アレンジがウェストコースト的アプローチでシンプルなのが古さを感じさせませんし、まろやかな楽器の響きが、昨今の巷の音楽と並べてもしょぼさが感じられません(確信)
「真夏の夜の夢」などはラテン風味と当時の音作りが合致していますが気恥ずかしい感が感じられます。ランバダかよ(小声)
 良い歌詞、良いメロディ、良いアレンジ。時代の先端を狙い売れ線に走るのは、批判の対象では無いと今なら言えます。パンクもジャズもAKBもデスメタルもポップ ミュージックと言うビジネスに乗り、幅広い人に流通させなければならないですし。

そこで私は問わなければならない。時代の先端を担っていたユーミンという虚像を松任谷由美は果たして自ら望み産み出したのだろうか(錯乱) シャンソンやキャロルキングが好きな呉服屋の娘がダンスビートだのテクノだのラテンフレーバーだの楽しんでいた訳がありません(金切り声)
 「潮風にちぎれて」こそロック少年のラスボスと化したモンスター・ユーミンの最後の良心 だったとここで結論付けてしまいそうです。なんて、まぁ「春よ、来い」はじめ リリカル路線はユーミンの魅力の一つとして万人に認知されている訳でして、要はバランス感覚に秀でた天才ソングライターと言う事なのでしょう。売れている事への嫉妬より、素晴らしい楽曲をこしらえる才能に嫉妬していれば・・・着眼点 の未熟な私の今となっては心の師とも言えそうです(適当)

2014年5月19日月曜日

本日の1枚その3

 ヴォイス・オブ・ザ・ハート カーペンターズ

我が愛しののiPodクラシック160Gでシャッフル再生にて出現した曲のアルバムを徒然と備忘する事とします。あまり聴かないような楽曲も現れますが、そこはそれ。
カレン・カーペンター生涯最後のレコーディング曲として有名なM1の「ナウ」につきます。アルバム全体を通して楽曲のクオリティが弱い気がするのは他のマテリアルが兄妹達の未発表曲集だからでしょうか。弱いとはいってもカーペンターズですのでそこはそれ。

1983年発表のアメリカのチャートでは46位。世の中はMTVブームでヴィジュアル先行のアーティストの売り出しに各レコード会社は躍起になっていました。おりしも新しい世代のロックバンドが世界を席巻しており、よりハードに、より派手に、ティーン世代を狙い撃ちした明るく煌びやかなスポーツ的なロックが世界のメインストリームでした。

ビリー・ジョエルやフィル・コリンズなどの若き実力派アーティストやボブ・ディランやデヴィッド・ボウイなどのキャリアのあるアーティストもMTVやFMラジオなどのメディア戦略により蘇り、新しく若い音楽ファンのリスペクトを得たことでの商業的成功を手中に収めました。

一方カーペンターズ。GoodMusicを静かに聴き入る聴衆相手のオールドスクールの優等生と言った趣きの音楽が入り込む隙はこの時代にはありません。ある種、アンディ・ウィリアムズやパット・ブーンに近い認識のされ方での活動は難しかったのでは無いかと想像できます(確信)

同じ70年代のポップアイコンのABBAは一足先の1981年にラストアルバムを発表してシーンの先頭から離脱しました。比べるのも何なんですがw 80年代と言うのは純粋なポップスが生きていくのは獣道をブラウスとハイヒールで進むような物だったと想像に難なくありません(断言)
上記にあったパット・ブーンはホーンセクションでヘヴィメタルをカバーする暴挙で自らの歴史に泥を塗りました(白目)

カレンと言えば拒食症のイメージで語られがちですが、本領発揮から程遠いこのアルバムでもM1の「ナウ」とM4「Make Believe It's Your First Time」の珠玉のメロディーに乗る彼女の神ヴォイスが堪能できます。バックコーラスもかなり厚みを持たせ、80年代に相応しい音作りになっていながら今聞いても古臭さは感じません。彼女らのアルバムの中でも内容的に一番地味かつ特殊なアルバムではありますがシャッフルでアルバム内の曲が出てきても違和感無く聴けます。

音楽シーンは単純では無く、特に80年代はそれまでの70年代までの音楽の踏襲と90年代以降の音楽の予見が全て集約されたカオスな時代。ダークでマイナス&ライトでプラスのエネルギー、両方求めるこの時代に、繊細なこの手の音楽が沈みがちだったのは本当に惜しいと思います。
てか沈んだ要因は購買者である僕ら当時のティーンが彼女らをあからさまに無視した現実。なんてバカだったのかと・・・WASPとか聴いてるんじゃなかったorz