「明日○○の新譜発売だ」
「明日○○がAmazonから届く」
「明日新車が納車だ」
「明日は外食で好きなもの食べよう」
「明日、明日、明日・・・」
何万人もの人々がそう胸に抱きつつ、明日と言う日を心待ちにしていたであろう2011年3月10日。
来たわけです、全ての人に平等かつ不公平に2011年3月11日と言う日。
私の地域は何も被害は被りませんでした。まぁ有りましたが取るに足らないような事。
教訓や対策、この震災で得たこと?なんてどうなんでしょ?そんなこと毎日考えながら生きていく事は出来ませんし、忘れています。
忘れない事が被災地への気持ちって記事読んだことあります。忘れないようにするには何をすべきかって事考え始めていましたっけ、3・11以降の5月くらい。
今、当時の事考えると、物凄く失礼な言い方になりますが「ノスタルジー」の感情抑えることが出来ません。家族、友達、同僚などとの大事な関係を改めて見直させられた時期。当時のACのCM観ると不思議なもので、何か温かい感情、身体支配。被災地の人への感情は湧かない事は無いんですが、あの時期は人との繋がり(身内)で私は生かされているんだと、再確認させられた日々と位置づけています。
で、忘れないようにするには。
■証を持つ事⇒傷付け刻み込む⇒心or身体
さて、tatoo彫るか3・11rememberとか。いろんな意味で痛そうだしポリシーに無いし、第一怖いよママン。
■記念品的商品を買い、日常的に目にすることによって忘れる危険を回避する
「六魂Tシャツ」とか「がんばろう東北ステッカー」とか?まぁアリではありますが、センス的な問題に直面します。そんなに大声でアピールしなくともw あと正直がんばろうって言われても今一ピンとこない部分あってだな・・・まぁ価格的にすぐ忘れてしまうでしょう。無くしても「あぁそうか」みたいなレベル。数百円で被災地に寄付した気になれる魔法のグッズ。
■ 上記をクリアし、かつ実用性もあり、更に忘れたくとも忘れられない経済的ダメージで自傷
もちろん購入は被災地。新車でジャケット、ヘルメット、ブーツも。
燃料不足には悩まされた手前、燃費の良さも決め手。